西暦 |
年号 |
月日 |
史 実 |
874 |
貞観16年 |
6月 |
聖宝、笠取山に准胝堂を建立して、准胝観音を安置す。 |
905 |
延喜5年 |
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聖宝、東大寺東南院を建立す。 |
907 |
延喜7年 |
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醍醐寺勅願寺となる。薬師堂建立、薬師三尊像造立す。 |
907 |
延喜7年 |
7月 |
聖宝、入寂す。 |
911 |
延喜11年 |
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観賢、上醍醐御影堂を建立す。 |
919 |
延喜19年 |
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座主以下十役僧を置き、観賢を醍醐寺第一世座主に補す。 |
925 |
延長3年 |
6月 |
第一世座主観賢入寂す。 |
926 |
延長4年 |
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下醍醐釈迦堂成り、本尊の開眼供養を行う。 |
930 |
延長8年 |
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醍醐寺本願醍醐天皇崩御、御陵を笠取山に築く。 |
949 |
天歴3年 |
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朱雀天皇の御願により清涼殿の古材をもって下醍醐に法華三昧堂を建立す。 |
951 |
天歴5年 |
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五重塔落成す。内部に両界曼陀羅、真言八祖像を描き、彩色をもって装飾す。 |
1085 |
応徳2年 |
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白河天皇、中宮賢子のため上醍醐に円光院を建立す。 |
1089 |
寛治3年 |
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上醍醐清瀧宮鎮座。 |
1097 |
承徳 元年 |
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下醍醐清瀧宮鎮座。 |
1112 |
天永3年 |
3月 |
下醍醐にて清瀧会を行う。 |
1115 |
永久3年 |
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座主勝覚、潅頂院(三宝院)を建立、賢覚は理性院、聖賢は金剛王院を建立。醍醐三流とす。 |
1118 |
元永 元年 |
3月 |
醍醐寺にて桜会を行う。 |
1121 |
保安2年 |
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上醍醐薬師堂再建、准胝堂に仮安置の薬師仏を薬師堂に遷す。 |
1152 |
仁平2年 |
11月 |
禅那院珍海寂す。 |
1192 |
建久3年 |
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快慶、三宝院弥勒菩薩像を造立す。 |
1195 |
建久6年 |
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東大寺重源、宋版一切経六千余巻を上醍醐に施入し、経蔵を建立す。僧円心、不動明王を書写す。良秀、潔賢の不動明王を書写す。 |
1199 |
正治 元年 |
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深賢、不動明王を書写す。 |
1260 |
文応 元年 |
11月 |
山上御影堂、経蔵、如意輪堂、五大堂焼失す。衆徒奏上して再建の用途に一ヶ国を充てられんことを請う。 |
1271 |
文永8年 |
10月 |
三宝院潅頂堂再建す。 |
1280 |
弘安3年 |
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律師仙覚、理性院に諸尊図像集及諸曼陀羅を書写す。阿闍梨信海、金剛童子像を書写す。 |
1295 |
永仁3年 |
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衆徒の争乱により釈迦堂(金堂)を焼失す。 |
1336 |
延元 元年 |
7月 |
今川、武田の軍勢醍醐を攻略す。山内の閻魔堂、遍智院以下諸院兵火を罹る。 |
1339 |
延元4年 |
6月 |
後醍醐天皇、座主文観(弘真)のために天長印信を書写し給ふ。 |
1357 |
延文2年 |
8月 |
足利尊氏、三宝院賢俊のため、七七日忌にあたり理趣経を書写す。 |
1410 |
応永17年 |
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上醍醐清瀧宮焼失す。 |
1435 |
永享7年 |
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将軍義満の猶子第73世座主満済准后寂す。 |
1470 |
文明2年 |
7月 |
大内の兵醍醐を攻略し山内堂舎、金堂、三昧堂、清涼堂、御影堂、清瀧宮、長尾宮、潅頂院(三宝院)、金剛輪院、金剛王院、報恩院、理性院以下諸院家悉く灰燼に帰す。五重塔のみ壊滅を免れる。 |
1540 |
天文9年 |
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後奈良天皇、般若心経一巻を書写し、座主義尭をして疫病平癒を祈らしめ給う。 |
1597 |
慶長2年 |
4月 |
豊臣秀吉、五重塔修理料一千五百石を寄進し、応其をして修理に当たらしむ。 |
1598 |
慶長4年 |
2月 |
秀吉、山内に花見の準備を命じ、仁王門の修理、やり山に殿舎数宇の建築及境内に桜樹七百本を移植せしむ。次で三宝院殿舎、庭園の増築を命ず。又この月境内に岳西院、光台院、金蓮院、成身院、西往院阿弥陀院の6坊の再建を命ず。 |
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3月 |
3月15日、秀吉、秀頼、夫人ら一族と共に花見を行う。座主義演当日の詠歌の短冊をもって末代の重宝たらしむ。 |
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4月 |
応其、紀州湯浅の満願寺本堂を毀ちて本寺の本堂たらしむ。三宝院の泉水を改廃し、新たに藤戸石を主人石として築庭をなさしめ、竹田梅松軒をして工事に当たらしむ。 |
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8月 |
秀吉薨ず。(三宝院庭園大略成る) |
1599 |
慶長4年 |
5月 |
下醍醐金堂成る。 |
1608 |
慶長13年 |
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秀頼、上醍醐如意輪堂、五大堂、御影堂を再建す。 |
1613 |
慶長18年 |
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江戸幕府、三宝院に属する修験(山伏)を当山派と称することを許可す。 |
1620 |
元和6年 |
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義演の醍醐寺新要録ほぼ成る。 |
1625 |
寛永2年 |
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弘法大師真筆狸毛筆奉献表を後水尾天皇の叡覧に供し、うち2行を献上す。 |
1626 |
寛永3年 |
4月 |
第80世座主義演准后寂す。 |
1668 |
寛文8年 |
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座主高賢大峯山に入峰す。 |
1707 |
宝永4年 |
正月 |
聖宝に「理源大師」の謚号を賜う。 |
1771 |
明和8年 |
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五重塔解体修理完成す。 |
1930 |
昭和5年 |
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醍醐天皇一千年御遠忌法要厳修、霊宝館落成す。宝聚院と命名、昭和10年4月開館す。 |
1932 |
昭和7年 |
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上醍醐五大堂焼失す。 |
1939 |
昭和14年 |
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上醍醐国有林より出火、准胝堂、清瀧宮本殿、客殿、書院類焼す。 |
1940 |
昭和15年 |
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上醍醐五大堂再建す。 |
1954 |
昭和29年 |
4月 |
国宝五重塔解体修理始まる。昭和34年竣工。 |
1960 |
昭和35年 |
4月 |
朱雀天皇一千年御遠忌・理源大師一千五十年御遠忌・国宝五重塔解体修理落慶記念大法要厳修す。 |
1964 |
昭和39年 |
8月 |
上醍醐国宝薬師堂、重文開山堂、如意輪堂修復落慶す。 |
1968 |
昭和43年 |
5月 |
上醍醐准胝堂再建落慶法要厳修す。 |
1976 |
昭和51年 |
5月 |
醍醐山開創一千百年慶讃大法要厳修す。修証殿落成す。 |
1979 |
昭和54年 |
9月 |
醍醐寺新収蔵庫竣工す。 |
1980 |
昭和55年 |
9月 |
勅願聖主醍醐天皇一千五十年御遠忌法要厳修す。上醍醐国宝薬師堂、清瀧宮拝殿、重文開山堂修復落慶す。 |
1983 |
昭和58年 |
4月 |
開山聖宝理源大師御生誕一千百五十年慶讃記念法要厳修す。祖師堂移築落慶す。 |
1984 |
昭和59年 |
4月 |
弘法大師御入定一千五十年御遠忌法要厳修す。念持仏堂、新寺務所、宗務本庁竣工。新庭園「憲深林苑」完成開苑す。 |